輸送園芸の発達と大量消費文化
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花き類に関して、域内消費・域内生産のパターンが壊れ始めたのは、第二次世界大戦後のことです。1960年代にはじまる高度経済成長時代に、新幹線などの鉄道輸送網が整備され、その後20年間で全国に高速道路網が張り巡らされました。これが「輸送園芸」を加速することになりました。販売市場が全匡に広がったことで、比較的気候条件に恵まれた花の産地(愛知、静岡)は、露地栽培を温室栽培に順次切り替えていきました。年間を通して花が供給できるような栽培体系を構築していくためでした。花を周年供給できる市場機会が増えたことで、切り花生産では産地が大規模化していきます。
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需要が急拡大している都市部の消費市場に、効率よくしかも大量に花を供給するためでした。どの産地でも、「共選共販(共同選花・共同販売)」の体制を組むことがふつうになりました。強力な販売力を持った大産地からの荷物をさばくために、都市部の卸売り市場(荷受会社)では、合併による大型化・中央市場化が進展しました。都圏や近畿圏などでは卸売市場の集約が進み、その数は、時の約3分の1に減少しました。市場の対応は、合併など組織的な取り組みにとどまることがありませんでした。物流と取引を合理化するために、同時に機械化と情報化が推進されました。場内に物流機器(台車システム)が導入され、手ゼリが機械ゼリ(セリ時計)に変わりました。そのことに対する是非はありましたが、技術的には基本的にオランダのシステムに倣っています。

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