花博以降

花博以降

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幸いなことに、「大阪の花博」(1990年)が終わってからもしばらく1995年ごろまでは、日本の花産業は、貰して成長路線を歩み続けてきました。人々の生活が豊かになったことで、伝統的な冠婚葬祭の花需要に加えて、法人向けのパーティー需要や個人ギフト需要が生まれたからです。また、戦後何度か成長の踊り場を迎えながらも、長期的にはゆっくりと伸びてきたフラワーアレンジメント(スクール)の業界に、欧州を中心として海外フラワースクール (英国、オランダ、フランス、ドイツ)が進出してきました。ひとびとの興味を惹きつけ、デザイン面で新鮮さを提供したことで、新しい花の需要を喚起した面があつたことはまちがいありません。最終的に、バブル経済崩壊の影響が花産業に及んだのは、一般の経済より約10年遅れて1999年のことでした。花産業が10年間の執行猶予をもらえたのは、切り花の市場が低迷をはじめた直後に、世界的なガーデニングブーム(1995〜1998年)が到来したからでした。ブーム到来を予期していたように、新種の植物(ペチュニアやバーベナの交配種)とこれまでにない園芸用品(ラティス、テラコッタなど)が新しく芽生えたガーデニング市場に向けて投入されました。また、成長が著しかったホームセンターでは、園芸売場が大幅に拡張されました。さらには、園芸用品メーカーが自社で独自の新製品を開発したり、世界中から目新しい園芸用品を調達してきたことがガーデニングブームを牽引する弾みになりました。




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約半世紀にわたって、日本の花産業は持続的な成長を止めることがありませんでした。この産業に携わってきた人々は、「ラッキー・インダストリー」(幸運な業界)で働いてきたことになります。その結果、花生産者と流通業者(卸・小売業者)は、世界でも例を見ないほど高品質な花を供給する技術を手に入れることができました。その反面で、世界的な潮流である「家庭同けの花需要」(ホームユースの花)に対しては、生産者も流通業者も遅れをとってしまうという負の遺産を継承しています。いま必要とされる「生産力式」や「販売方法」は、明らかに家庭向けのニーズです。茎が短くても生産性が高い品種の選抜、切り花の鮮度保持に対応した流通方式、セルフ販売に適した花束の加工、店頭陳列がしやすい花のパッケージデザインなどなど。現状では、しかしながら、産業の確かな将来像が見えないまま、日本の花産業は1999年以来、戦後はじめての低迷から脱出できずにいます。以下では、そうじた日本の花産業についで、生産(輸入)段階から最終消費に至るまで、花産業の現状を俯瞰することにします。なお、国内の花事情だけでなく、世界の花消費とフラワー産業の潮流を見てみるつもりでもあります。まずは、戦後一直線に伸びてきた花の生産と消費について、現状のおおよその傾向を把握してみることにしましょう。